浄土宗 撥迎山 両讃寺

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    両讃寺沿革    

両讃寺とは

正式名称は發迎山 二尊院 両讃寺(はっこうざん にそんいん りょうさんじ)と言います。
宗派は浄土宗で、総本山は知恩院です。

両讃寺のある京田辺市大住(おおすみ)の地は、奈良にある法相宗の本山「興福寺」の荘園で、南山城にあった仏教の一大聖地の一つであったと言われています。
そのため、多くの修行者がこの地におとずれていたと伝えられおり、その名残として大住虚空蔵谷の虚空蔵滝、月読神社の社坊蹟など、大住には今でも信仰の面影を伝えている場所や行事が伝承されています。

その昔「大住家友」という領主が近くの城山に住んでおり、この大住の地にあった阿弥陀堂と釈迦堂を特に篤く信仰していました。

その後、戦国時代の兵火により、阿弥陀堂・釈迦堂共に跡絶えつつあった中、「橋本甚太夫」・「刀根源太夫」という地元の郷士が、阿弥陀堂・釈迦堂にいらっしゃった仏様をお祀りする為に新たなお寺を建立しました。
江戸時代に入り、慶長年間に「願故上人」を住持としておむかえし、發迎山 両讃寺と号するに至ったのがこの寺の始まりです。

上記のことから、この両讃寺の特徴は、古来より大住に伝わってきた旧阿弥陀堂の弥陀三尊・旧釈迦堂の釈迦三尊の両方をお祀りし、阿弥陀如来・釈迦如来の両方の教えを伝える寺であります。その特徴は寺の名前にもあらわれています。

寺名の由来

お寺の正式な山号は發迎山、院号は二尊院、寺名は両讃寺(りょうさんじ)と言います。
名前の通り、「両方を讃歎(さんだん)する寺」で両讃寺と名付けられました。
讃歎とは仏教用語で「仏様や菩薩の徳をほめたたえること」です。
では、両方を讃歎するとはどういうことでしょうか?
両方とは「阿弥陀様とお釈迦様、両方」のことを言います。
つまり、阿弥陀様の教え・お釈迦様の教え両方を讃歎するお寺であるということです。
その由来は全国的にも珍しく、同じ由来のお寺としては京都嵐山の二尊院が有名です。

仏教は「自身の無知を自覚して信仰を深めていく教え」と
「自身の可能性を求め、理解と実践を深めていく教え」と
それぞれの立場に応じて教えの内容が異なります。
どちらの教えが良いかは、人それぞれの環境や考え方に左右されることが多いかと思いますが、
仏教では中道(かたよらない)の教えを説くように
どちらか一方に固執することなく実践することが理想であることが、両讃寺の寺名に良く表されています。

山号の意味

両讃寺には寺の名前の他に、山号(さんごう)・院号(いんごう)という別の名前があります。
山号・院号を見ると、お寺の歴史や信仰形態などを知ることができます。

両讃寺の山号は「發迎山(はっこうざん)」と申します。

「發」は「発」の旧字体で、両讃寺の場合「発遣(はっけん)」を意味します。
「発遣」とは現世から極楽浄土へ送り出すことを言い、お釈迦様が生死輪廻の業から抜け出る為にはお阿弥陀如来の極楽浄土へ行くことを強く勧められたことに由来します。

「迎」は「来迎引接(らいこういんじょう)」から取られました。
「来迎」は阿弥陀如来が極楽浄土に生まれることを願う者の前に現れ、浄土へ迎える働きを表します。

院号の意味

両讃寺は本堂に「来迎の阿弥陀」の弥陀三尊、また「発遣の釈迦」の釈迦三尊をお祀りしております。
「二尊」とは阿弥陀如来と釈迦如来の二人の如来のことを言います。

この「二尊」をお祀りする寺ということから「二尊院」という院号が寺名についております。 

この世にお念仏の教えが伝えららているのは、この二尊の慈悲の働きが相互に作用した結果であります。

八小路の由来

京田辺市大住に「西八」という地区がありますが、これは「西村」という地区と「八小路(はっこうじ)」という地名が合併してつけられた名前です。
その南側は昔から「八小路」という地名で親しまれ、両讃寺の近所に「八小路」というバス停があることから、今でもその名残りがあります。

『大住村史』(西田直二郎)には、
「‥發迎山両讃寺と号したと、里人これに誤って發迎寺といい、さらに八小路と書くに至った、と。土地の地名八小路の起源はもとより口碑に過ぎないが、古地図には八講寺の名がみえる」(※口碑=言い伝え、伝承)と記されています。

また両讃寺二十三世 金田和尚の残された由緒には次のような内容が書かれています。
「当時(江戸時代)の人々は寺を呼ぶのに山号に寺をつけて呼ぶものと勘違いし、發迎寺と呼ぶようになった。發迎寺だと画数が多いため、略して八小寺と書く人が現れた。その後、寺は両讃寺と言うようになり、八小から八小に変わり呼称は地名となって残った。」

京都の浄土宗総本山「知恩院」も「華頂山 知恩教院 大谷寺」という名称ですが、「知恩院さん」と親しまれています。その他に「教王護国寺」を「東寺」、「禅林寺」を「永観堂」と呼ぶように、親しまれた通称が定着し地名になると言ったことは珍しくありません。

美男美女の御利益が伝えられている 十一面観音菩薩

両讃寺の境内にいらっしゃる石仏の十一面観音様は、御参りすると美男美女で賢い子が育つと言われております。
昔から身重(妊娠中)の人や子供がいらっしゃる方が御参りすると御利益があると言われており、ご懐妊の婦人や小さな子供がいらっしゃる夫婦が、遠方からよくお参りに来られたと言われております。
現在でも、子供がお参りすると男の子は美男に女の子は美女に、共に徳のある大人に成長すると言われ、多くの参拝があります。

虚空蔵菩薩

両讃寺でお祀りしている虚空蔵菩薩は、智恵増長・学業成就の御利益があり、古来より13歳の男女が祈願に参拝する十三参りの本尊として親しまれています。
今でも、4月13日の御縁日に虚空蔵谷で執り行われる十三参りには遠方からも多くの子供達が智恵を授かりに参拝に来られます。
また、普段は両讃寺の本堂にて虚空蔵菩薩の十三参りをお授けしております。

月読み薬師如来(旧 宝生山 養福寺 本尊)

両讃寺でお祀りしている薬師如来は、元は近所の月読神社の社寺でお祀りしていたご本尊様で、明治時代より両讃寺がお祀り供養することとなり現在でも伝承されています。
もともと月読神社境内で薬師如来を安置していた養福寺という寺は、その山号が宝生山と言われており、一説によると お能 の「宝生流」の名前の由来とも言われています。
現在でも月読神社では毎年10月14日に「隼人舞い(はやとまい)」と言われる、芸能が伝承奉納されており、その隼人舞いが お能 や日本の伝統芸能の原点であったと言われています。
その舞いの奉納を古くから受けてきた薬師如来は、日本芸能の源泉の仏様と言われており、芸事や習い事を守護して下さる仏様として信仰を受けています。

弁財天

弁財天は楽器や踊りなどの芸事に御利益があるとして知られています。
現在でも秘仏としてお祀りされています。
現在の子供達は学校の勉強だけでなく、多種多様な習い事やスポーツに取り組んでらっしゃいます。
両讃寺本堂での十三参りの祈願の際、お子様の習い事やスポーツなどの上達を祈念して特別にご開帳しております。