浄土宗 撥迎山 両讃寺

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    大住の歴史    

大住の地

京都市内から木津川市にかけて「京都盆地」と言われます。
昔からこの「京都盆地」では、冬の底冷えと夏の蒸し暑さは独特の厳しさがあると言われています。

一説によると、太古の昔、この京都盆地は瀬戸内海の一部であったと言われています。
つまり、今の地形になる前は、海の底・または湖の底であった時期があるというこです。

古来、海の底であったこの一帯は、時代が巡り、淀川を水のはけ口とする湖となり、さらに後、水が引いて今の京都盆地が現れたそうです。

現在、京都市の南、伏見から久御山にかけて、昭和初期まで残っていた巨椋池はその名残りであったと言われています。

そう考えると、夏の湿度が高いのも冬の底冷えも納得がいきます。また京都は昔から水の都と言われ、水脈が多く霊水の讃えられる場所が多いのも頷けます。

そして、霊水が有るところには必ず霊場や修行道場が作られていきます。

大住の地に古来より信仰がある虚空蔵谷の滝もその一つであります。

しかし、大住はこのような地形的なルーツを持つ信仰があることに加え、はっきりとしたルーツを持った一族が住む地域でありました(次項参照)。

それは、他の地域ではあまり類を見ないかもしれません。

大住の歴史